高橋尚子さんに聞く! Vol.1

楽しく走るが、いちばん強い

"気持ちいいランニング"の見つけ方


ゴールの先にあったのは、「すべてがつながった」と感じられた瞬間。

【ポラール (以下P)】現役時代を振り返って、走るって楽しいと一番感じた瞬間はどんな時でしたか? ‎

【高橋 (以下T)】達成した瞬間は、本当にすごく楽しかったですね。
ここでいう「楽しい」というのは、ただ走ることが楽しいというだけではなく、それまで積み重ねてきたことが形になり、すべてがつながったと感じられた瞬間のことです。

私一人の力ではなく、監督がメニューを考えて下さり、コーチのサポート、食事を通して体づくりを支えてくれた方々、怪我なく送り出してくれたトレーナー、そして一緒に激しい練習を乗り越えてきた仲間、さらにたくさんの応援してくれた人たち――本当に多くの人の力が一つになって結果につながったと感じられたことが、何より嬉しかったです。

また、大きな大会の緊迫した空気の中で、自分らしく自由に走れたことも楽しかったですね。特別な舞台で多くの注目が集まり、独特の緊張感が漂う中、その空気を切り裂くように走る爽快感がありました。

もちろん「楽しい」と感じる瞬間は、レースだけではありません。練習をやりきった達成感や、新しい道を発見したときの喜びなど、日々のランニングの中にもたくさんの楽しさを感じていました。自然の中を走りながら鳥の鳴き声が聞こえたり、動物が出てきたりした時に、自然と一体になっているような楽しさを感じます。また、走ることを通じて多くの人と出会い、仲間が増えていくのも大きな魅力です。走っているからこそできたご縁であり、世界が広がっていく感覚がありました。陸上の周りには、すごく楽しさがあふれていたと思います。

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苦しさの先の達成感が、すべてを前向きに変えてくれる

【P】客観的に見ると、オリンピックでトップを目指すとなると本当に厳しい練習を乗り越えてこられたのではないかと思いますが、「きつい」というよりも「楽しい」が勝っていた日々だったのでしょうか。

【T】そうですね。特に印象に残っているのが、オリンピック前のアメリカ合宿の最後の日です。「このコースを走るのも今日で最後だ」と思ったとき、ふと草花や木、土やトラックに対して、「ありがとうね」と声をかけるような気持ちになったんです。ここで真剣に取り組んできたことを、本番で発揮してくるね、という気持ちで。人だけでなく、自然や場所、空間そのものへの感謝が自然と湧いてきました。

もちろん、練習は苦しかったですし、逃げ出したくなる瞬間もありました。でも、「苦しい」「つらい」といった感情は、必ずしも「嫌い」とイコールではないんです。その先には「嬉しい」「楽しい」という達成感があって、すべてを前向きなものに変えてくれる、そんな感覚だったと思います。

【P】そうなんですね。いつも大会で高橋尚子さんが笑顔で走られてる印象が強くて、本当に走ることが楽しいんだという思いが、見ている側にも伝わっていました。

【T】ありがとうございます。オリンピック前は、「走るのが楽しいと言われてもよく分からない」と言われることもありましたが、オリンピック後に、「ようやく分かりました」「緊迫した中でもとても楽しそうでしたね」と言っていただけたのが印象的でした。

当時の日本では、マラソンは“見る競技”というイメージが強く、「走ることを楽しむ」という文化はまだなかったと思います。「忍耐」や「根性」といった、ストイックで汗臭いイメージが強かったと思います。

でも、1997年の世界陸上で訪れたニューヨークのセントラルパークで、年齢を問わず多くの方がとても楽しそうに走っている姿を見て、「これはすごいな」と感じました。ここではスポーツが生活の一部として根づいていて、誰もがランニングを楽しめるものになっている。それがとても羨ましくて、日本もこうなればいいのにと強く憧れたのを覚えています。

だからオリンピックで「楽しい」と口にしたのも、特別に用意した言葉ではなく、自然と出てきた言葉でした。

それから20年以上が経ち、日本でもランニングを楽しむ人が本当に増えました。あの頃憧れた光景が、日本でも当たり前になってきたことを、本当に嬉しく感じています。

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気持ちいいペースを味方にする

【P】つづいて、高橋さんにとって気持ちいいペースは、どんなペースや感覚ですか? ‎

【T】気持ちのいいペースは、話をしながら走れるくらいのペースですね。呼吸が苦しくなったり、タイムを気にしたりするような走り方ではなく、会話に夢中になっているうちに「走っていることを忘れていた」というくらいが、一番気持ちのいいペースなのかなと、今は思います。

【P】現役時代の気持ちいいペースはどうでしたか? ‎

【T】現役時代の気持ちいいペースは、気持ちよくリズムに乗れるペースで、体が自然と前へ進むような感覚でした。自動運転のように、体全体がバランスよく稼働して動く速さっていうのがあって。私の場合、現役時代は1キロ「3分45秒」くらいが、体が一番気持ちよく、呼吸も乱れず、無理なく40キロでも50キロでもずっと走れそうな速さでした。

そこで、その「気持ちいいペース」を体にしっかり覚え込ませておくんです。そして試合でペースが「1㎞3分20秒」でも、感覚としては「3分45秒」のままスライドさせて、脳を“騙す”ようなことをしていました。つまり、一番きれいに、無駄なく走れる状態を体に自分でインプットさせておく。足の軌道や体の振れ方、前傾の角度など、「うまく走れているときの自分」をコピーするように覚えておくんです。

そしてレースでペースが上がった時も「速い=きつい」という連想をしないようにして、「これはいつもの3分45秒の感覚と同じだ」と置き換えてしまうんですね。実際には速くなっているのですが、そのきつくない感覚をキープできるようにしていました。

だから気持ちよく走れているときは、「今がコピーする時間だ」と意識していました。「脳を騙す」と私はよく表現していて、調子のいいときの自分をベースにして、速さのタイムに引っ張られず、感覚をすり替えるようにコントロールしていました。

【P】速くなりたい人にとっては、すごく参考になりますね。 ‎

【T】ジョグでも何でもいいので、「今日は気持ちよく走れてる」と思った時の身体の動き方をしっかり覚えておく。そのイメージを持っておくことは、レベルを問わずどんな方にも使えるのではと思います。 

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つらいと感じる一歩手前のペースが、いちばん長く続く

【P】初心者の方はまだ気持ちいいペースまで掴めない方もいらっしゃると思うのですが、続けられるペースを作るコツはありますか? ‎

【T】一番分かりやすい目安は、誰かと会話をしながらでも走れるペースですね。息が切れたり呼吸が乱れたりせず、自然に話続けられるくらいの速さが、一番長く続けられるコツだと思います。マラソンというと、中学校の持久走のように「苦しくても頑張るもの」というイメージを持っている人が多いと思いますが、まずはそのイメージを手放してほしいですね。

私自身今でも、走る前には必ず5分から10分ほど歩くようにしています。いきなりトップスピードに上げるのではなく、ウォーキングから徐々にペースを上げていくことで、呼吸が乱れず、走っていること自体を忘れられるような感覚になってくるんです。

また、3分や5分おきに時計を見てしまうようなら、少し頑張りすぎているのかもしれません。気がついたら「もう10分経っていた」と感じるくらい、負担に感じないペースの方が続けやすいです。苦しい、つらいと感じる一歩手前の状態で、気持ちよく長く続けること。それが一番効果的だと思います。 

大切なのは、今の自分の状態と心拍数を照らし合わせること

【P】それを心拍数で確認する方法ってありますか? ‎

【T】むしろそれを、時計を見て知ることが必要なんだと思います。人によっても心拍数は全然違うので。例えば、楽に話しながら走れている時の心拍数はどのくらいなのか、少し呼吸が上がってきた時はどのくらいかなのかを確認してみるんです。自分の心拍数を把握することは、レースの際のパフォーマンスにもつながりますし、練習強度を上げて練習ができたかどうかを判断する上でも、とてもプラスになります。

自分の中で、「楽に走れるとき」「呼吸が乱れてくるとき」「レースで一番つらかったとき」のような「限界に近いとき」を段階的に把握しておくと、練習の時も強度を調整しやすくなります。少し上げたい時には最大心拍の8割くらいを目安にしようとか、今日はゆっくりとスタミナをつける日だから心拍数を上げないで行こうとか、少し上がりすぎたから今日は追い込みすぎなのでこの後は少し下げていこうとか、そういった目安になります。

大切なのは、時計に表示される数値をみるだけでなく、その時の感覚と照らし合わせて理解しておくことです。そうすることで、たとえ時計がなくても、自分の状態を感覚的に把握できるようになってきます。

どうしても「心拍数120がいい」「150がいい」といった数字に着目されがちですが、実際にはトップアスリートでも心拍数は人によって全然違います。高い心拍数でも長く耐えられる選手もいれば、一時的に高くまで上げられても長くは続かない選手もいて、それぞれに特徴があります。

だからこそ、一般的な数値に合わせるのではなく、自分の感覚と心拍数を照らし合わせながら、自分自身の状態を理解し基準を見つけていくことが大切だと思います。数字は自分を知るためのヒントとして活用するのが一番ですね。 ‎

【P】すごく納得しました。人によって心拍数が違うことが気になっていましたが、自分の最大心拍数が分からない人も多いと思います。この方法であれば、誰もが自分の心拍数について適切に把握することができますね。 

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ランニングは、楽しさと出会う小さな発見の旅

【P】ランニングは時々単調に感じることもあると思うのですが、楽しく走るコツってあったりしますか?‎

【T】同じコースばかり走っていると、どうしても単調になりがちですよね。そんな時は少し道を変えてみるだけでも、新しい発見があったりします。私はそれを「探検ラン」と呼んでいるのですが、「こんなところに神社があったんだ」「新しいお店ができているな」といった発見があって、とても楽しいんです。

大学時代から白地図に走った道を書き込むのが好きで、通ったルートを色分けしながら記録していました。練習でいつも通る道は青、自分で走って探検したところは赤、というように。探検して見つけた場所を書き込んでいくと、色とりどりの絵のようになっていくのが楽しみでした。

身近なところを走り尽くしたら、一度行ったことがある場所までは自転車で行き、そこからさらに先へ走っていくんです。大阪に住んでいた頃は、吹田あたりから高槻の方へ行ったり、大阪城、尼崎の方へといろいろな方面へ足を延ばして探検ランをしていましたね。

【P】かなり広範囲ですね。

【T】そうですね(笑)。現役時代は練習後によく小出監督を誘って一緒に走っていました。小出監督から与えられるメニューは、実業団選手としての仕事の一部ですし対価をいただいて取り組んでいることなので、厳しくてもしっかり耐えなければいけない責任がありました。でも、その練習が終わってしまえば自分の時間なんです。私はよく、小出監督を捕まえて一緒に走っていました。監督はすぐ逃げようとするというか、隠れちゃうんですけど(笑)。

【P】監督が隠れるんですか?(笑)

【T】そうなんです。見つけ出して、「ちょっと一緒に走りましょうよ」と誘って、それで探検ランをするんですね。新しい道を発見したり、「ここは練習でも使えそうだよね」と話したりする時間がとても楽しかったです。

それと、四季を感じられることもランニングの大きな魅力だと思います。特に東京のような都市で働いていると、室内にいることも多いため、今がどんな季節なのか実感しにくいことがあります。でも外を走ると、風の変化を感じたり、花が咲いていたり、田植えが始まっていたり、季節の変化を感じることができます。

ランニングは身体を動かすだけでなく、心を解放したり、気持ちをリフレッシュしたりする効果もあると思います。そうした発見や季節との出会いを楽しむことが、長く走り続けるコツなのではないでしょうか。